第三回「七曲七夕みたま祭り」を開催します!
令和5年、455年ぶりに御津金川の地に七夕祭りを復活させ、七夕の夜に七曲神社を七色の光で彩り、御津のあらゆる御霊を明るく弔う祭りを斎行いたしました。 「明治の日本を救ったラストサムライ瀧善三郎の故郷」から御津を、御津か...
2025.06.23
令和5年、455年ぶりに御津金川の地に七夕祭りを復活させ、七夕の夜に七曲神社を七色の光で彩り、御津のあらゆる御霊を明るく弔う祭りを斎行いたしました。 「明治の日本を救ったラストサムライ瀧善三郎の故郷」から御津を、御津か...
戦国時代より
水上交通の要として
県北と県南を結ぶ要所
当七曲神社は東に清き流れの旭川、 南に宇甘川、北に御祖の築く城跡の在る臥龍山 、その懐に鎮座しております。
戦国時代、1473年松田元就が臥龍山に金川城を固め七曲大明神を城の下におかれました。(金川村誌)
明治2年以降七曲大明神を七曲神社と改め金川の氏神として親しまれております。
天保8年(1837年)御津金川の地に生まれ
「神戸事件」で世界に名が知られている
岡山が誇るラストサムライ瀧善三郎
慶応四年(明治元年・1868年)明治維新直後に起きた
この事件は、明治最初の外交問題として歴史上大きな意味を持っています。
この国際問題を切腹で収めたのが瀧善三郎でした。
備前岡山藩池田家家老、日置忠明により
寛文十三年(1673年)に奉納
三十六人の著名な武人を描く
「宮ところてらす鏡のくもりなく代々をまもりのかけをたのまん」と金川の子々孫々の長久を願った絵馬
明治時代まで存在した武仙殿にかかげられていた