倭武選
三十六人図
絵馬

重要文化財

備前岡山藩池田家家老、日置忠明により三百五十年前
寛文十三年(一六七三)年に奉納されました。
画工は、狩野派の狩野十兵衛です。

武勇を重んじていた時代ですので
尚武の精神を鼓舞するために古代から
室町時代までの有名な武人を描いています。

裏書きには享保十三年(一七二八)に
補修されたという記録も残る
とても貴重な歴史遺産です。

江戸時代の
人気武将を
物語る
貴重な絵馬

絵馬一から三

一の絵馬

【大彦命】 おおびこのみこと
四道将軍の一人北陸に遣わされた武将。
四道は北陸・東海・西海・丹波のこと、四地域を平定するために派遣した四人の皇族将軍を四道将軍という。

【吉備津彦命】 きびつのひこのみこと
四道将軍の一人で西海を平定するために遣わされた皇族武将 。
比古伊佐瀬理毘古命(ひこいさせりひこのみこと)が本名、七代孝霊天皇の皇子で桃太郎のモデル。

【日本武尊】 やまとたけるのみこと
十二代景行天皇の皇子。
大変荒々しい性格を見定めた天皇は小碓皇子 (おうすのみこ)、後の日本武尊に朝廷に従わない全国の豪族を征伐する命を与え、皇子は旅にでました。征伐の途中で手に入れる草薙剣の神話は有名。

【高市王子】 たけちのおうじ
天武天皇の皇子 。壬申の乱で天武天皇を助け、軍を率いて活躍した。

【坂上田村麻呂】さかのうえのたむらまろ
奈良~平安時代初期、蝦夷征伐で活躍した武将。
延暦16年(794)に征夷大将軍になった。

【平貞盛】たいらのさだもり
平安中期の東国の武将。
父の平国香を平将門に殺害されたが、後に将門を亡ぼした。

ニの絵馬

【小野好古】おののよしふる
平安中期の歌人であり武将。
承平天慶(940~941)の乱で活躍した。

【源頼信】みなもとのよりのぶ
平安中期の武将 。
平忠常の乱を戦わずに鎮め名を上げた知恵者。

【源頼義】みなもとのよりよし
源頼信の嫡男。
河内源氏の二代目棟梁。
平常忠の乱で父頼信と共に戦い活躍した。

【源為朝】 みなもとのためとも
平安後期の武将。
幼少より勇猛で弓芸に秀でていた。
保元の乱(1156)で活躍で活躍した。

【平重盛】たいらのしげもり
平安末期の武将、平清盛の嫡男。
保元の乱で父と共に源為朝と戦い功名を上げた。

【源義仲】みなもとのよしなか
平安末期の武将。
木曽の山中で育ったことから、木曽義仲とも言われる。
源平水島合戦で平氏軍に大勝した話は有名。

三の絵馬

【藤原利仁】ふじわらのとしひと
平安中期の貴族であり武人。
延喜12年(912)高座山(たかくらやま)に出没する数千の盗賊を征伐したことで有名。

【大野東人】おおのあずまびと
奈良時代前期の武将。
神亀2年(725)の蝦夷征伐や740年の藤原広嗣の乱で活躍した。

【大伴狭手彦】おおとものさてひこ
6世紀古墳時代の豪族・武将。
新羅に攻められた任那(みまな)を助け百済を救った。

【道主命】みちぬしのみこと
丹波道主命 たにはのみちぬしのみこと、丹波の平定を命じられた四道将軍のひとり。

【武渟川別命】たけぬなかわわけのみこと
崇神天皇の御世、四道将軍のひとりで東海に派遣された武将。

【道臣命】みちのおみのみこと
神武東征の時に八咫烏に導かれ宇陀への道を開いた。
神武天皇に仕掛けられた押機罠を見抜き、事なきを得た。

絵馬四〜六

四の絵馬 

【源頼政】みなもとのよりまさ
平安末期の武将・歌人弓の達人で怪物鵺の退治をしたとの伝説がある。
平清盛が信頼を寄せていたが、のちに平家と戦った。源氏の中で初めて公卿に昇進した人物。

【平清盛】たいらのきよもり
平安末期の武将・公卿 ・平家の棟梁として平家繁栄の基を築いた。
宮島の厳島神社造営をした。

【源義家】みなもとのよしいえ
平安後期の武将。
石清水八幡宮で元服したので八幡太郎の名で知られる。数々の合戦で武勇を上げた。人望厚く源氏の勢力増大に貢献した。

【平惟茂】たいらのこれもち
平安中期の武将。勇猛な戦い振りが有名で悪鬼退治の物語は「紅葉狩」として知られる。
晩年、仏教に帰依した。

【源頼光】みなもとのよりみつ
平安中期の武将 。三条天皇に20年余り仕えた。
弓に秀でて化物退治や酒呑童子を征伐した勇猛な伝説で知られる。

【藤原秀郷】ふじわらのひでさと
平安中期の武将・貴族・豪族。
平将門を討ち承平天慶の乱を鎮めた。「宇都宮の百目鬼退治」 「近江の大百足退治」お伽ばなしが有名。

五の絵馬

【源(足利)基氏】あしかがもとうじ
南北朝時代の武将。
南朝方の新田義興を滅ぼした。
関東平定に尽力し鎌倉府の基礎固めをした。

【楠正成】くすのきまさしげ
鎌倉時代末期の武将。
後醍醐天皇に味方し天皇の隠岐脱出や六波羅攻撃に功績した。

【源(新田)義貞】にったよしさだ
鎌倉末期、南北朝時代の武将。
足利尊氏と激しく対立し後醍醐天皇方につき戦った。

【平(北条)時政】ほうじょうときまさ
鎌倉幕府の初代執権。
源頼朝と共に鎌倉幕府を作った。

【源義経】みなもとのよしつね
鎌倉初期の武将。
幼名は牛若丸 兄、源頼朝の挙兵を聞いて参陣し、戦に加わる。
弁慶との出会いなど、数々の牛若丸伝説がある。

【源頼朝】みなもとのよりとも
平安末期・鎌倉初期の武将。
鎌倉幕府初代将軍。
平清盛が熊野詣で留守中に乱を起こし政権を奪った。夫人は北条政子。

六の絵馬

【平教経】たいらののりつね
元の名は国盛。
平安末期の武将。叔父が平清盛。
備中水島合戦で源氏を破り活躍した

【平(北条)泰時】ほうじょうやすとき
鎌倉幕府3代執権、承久の乱では叔父の北条時房と共に幕府軍を率いて活躍した。
政治力に優れた武将。

【護良親王】もりよししんのう
鎌倉末期、南北朝時代の皇族。
後醍醐天皇の皇子。
父天皇の討幕運動に協力し挙兵。征夷大将軍となった。

【源(北畠)顕家】きたばたけあきいえ
鎌倉末期、南北朝時代の武将・公卿。
後醍醐天皇の鎌倉幕府、討幕の意向を受け新田や楠らと協力し足利尊氏を退け、鎮守府将軍に任ぜられた。後醍醐天皇に新政を批判した6ヶ条の意見書を出した。

【源(足利)尊氏】あしかがたかうじ
南北朝時代の武将。 楠正成や新田義貞と戦を交えた。
室町時代の初代将軍、光明天皇を擁立し征夷大将軍に任ぜられた。

【源(足利)義満】あしかがよしみつ
尊氏の孫 11歳で室町幕府3代将軍になる。1392年に南北朝を合体させた。
策略巧みで反幕勢力を制圧し、将軍独裁制を築いた。1397年に京都北山に金閣寺を造営した。