について
沿革
当七曲神社は東に清き流れの旭川、 南に宇甘川
北に御祖の築く城跡の在る臥龍山、その懐に
鎮座しております。
五五〇年前の戦国時代、一四七三年松田元就が
臥龍山に金川城を固め七曲大明神を城の下に
おかれたと(金川村誌)に出ております。
また、遡る一三四五年(貞和元)太平記、東備郡史
七曲神社縁起の中に、松田左近将重朝重明の名が
でてまいります。
臥龍山玉松城趾
松田氏は元来相州の人で相模国足柄郡七曲の地名もこの松田氏の故郷。
武蔵の国、神奈川の名をこの地に付けたと古書に書かれています。
また一説には、金川は旭川と宇甘川が重なる地であるのでかぬ(兼)川、またはかね川と言っていたとあります。
金川の地名が一級資料1342年(康永元)に書かれた吉備津彦神社蔵の「備前一宮社法」に見られます。
1568年(永禄11年)宇喜多直家の計略により松田氏が滅ぼされた後、七曲神社は宇垣郷佐波に移され衰退の憂き目にあいます。
七曲大明神
一六〇三年(慶長八年)江戸幕府が出来ると、日置豊前が金川を賜り新城を築き、七曲大明神を復活させました。以来当社は日置氏の崇敬を受け手厚く保護されてまいりました。
明治二年以降七曲大明神を七曲神社と改め金川の氏神として親しまれております。
ご祭神
境内案内
本殿
天照大御神 豊受大御神(内外神社)
春日大明神
八幡大菩薩
猿田毘古命
伊勢神宮の内宮外宮より天照大御神、豊受大御神をお祭りし、春日大社より春日大明神(武甕槌命、経津主命、天児屋根命、比売神)また古来より武家の治める地であったことから八幡大菩薩を、そして道開きの神、猿田毘古命をお祭りし、神仏習合時代の古き良き習俗を今に伝えています。
不思議な「七曲」
本殿の鬼紋(おにもん)にかかれている「七曲」の文字…
よくよく見ると少し変わった書き方をしています
なぜこの様な漢字になったのかは実はよくわかっていません。
利国稲荷神社
利国稲荷神社(としくにいなりじんじゃ)
農業、五穀豊穣の神様、宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)をお祭りしています。
「お稲荷さん」はきつねではありません。きつねはお稲荷さんに仕えるお使いの神様です。
宇甘川を挟んだ向かい側の飛び地にも利国稲荷神社はあります。
神武神社
神武神社(じんむじんじゃ)
神依伊波礼毘古命(かむやまといわれびこのみこと)つまり、日本国初代天皇神武天皇をお祭りしています。
この様に分かりやすいお名前で神武天皇をお祭りしている神社はとても珍しいので、是非お参りください。
戸隠神社
戸隠神社(とがくしじんじゃ)
力持ちの神様、天手力雄命(あめのたぢからおのみこと)をお祭りしています。
天照大神(あまてらすおおみかみ)が天之岩戸(あめのいわと)にお隠れになったときに
岩戸を開け、その岩戸を遠くへ投げ岩が落ちた場所にあるのが長野県の戸隠神社です。
聖神社
聖神社(ひじりじんじゃ)
日知神をお祭りしています。
子安神社
子安神社(こやすじんじゃ)
伊弉諾命(いざなぎのみこと)伊弉美神命(いざなみのみこと)玉依姫命(たまよりびめのみこと)をお祭りしています。
古事記、日本書紀では、伊弉諾命と伊弉美神命が、夫婦で力を合わせて日本列島をお産みになりました。岡山県は古代は吉備国(きびのくに)と呼ばれ、古事記で最初の方に生まれた島がいくつかあります。
玉依姫命は神武天皇のお母さんです。
摂社
向かって右から
賀茂皇大神(かもすめおおかみ)/雷神である賀茂別雷大神(かもわけいかづちのおおかみ)をお祭りしています。
龍田神社(たつたじんじゃ) /風神である志那都比古神(しなつひこのかみ)をお祭りしています。
貴布祢神社(きふねじんじゃ) /水神である高龗神(たかおかみのかみ)をお祭りしています。
天神社(てんじんじゃ)/学問の神様である菅原道真命(すがわらのみちざね)をお祭りしています。
龍神社(りゅうじんじゃ)/海の神様である綿津見神(わたつみのかみ)をお祭りしています。
抱節先生碑
難波抱節(なんばほうせつ)は、金川の備前岡山藩家老日置家お抱えの医師で、三備の名医として知られています。
嘉永三(一八五〇)年、足守の緒方洪庵先生から牛痘苗を譲り受け、金川で3千余人に接種し、防疫(感染予防)の大切さをいち早く見抜いていた名医です。
またこの時代にいち早く、全身麻酔を用い、乳癌や脱疽などを手術しました。
川向いに墓所があります。
忠魂碑
戊辰戦争以来の金川出身者の英霊の御霊を顕彰する石碑です。
明治十四年に建立された、とても大きな石碑です。
「忠魂碑」という文字は、陸軍大将井上幾太郎により揮毫です。
瀧善三郎正信君義烈碑
昭和十五年に、旧備前岡山藩池田家第十五代当主池田宣政公によって建てられた義烈碑です。
滝善三郎の勇敢な行動を讃えるとても大きな石碑です。
詳しくは 「ラストサムライ瀧善三郎」のページを御覧ください。
小神冨春歌碑
小神冨春は江戸末期の七曲神社の神官で、国学者であり言霊学派、優れた歌人でした。
「芒園歌集」や「言霊増鏡」を遺しています。上記の難波抱節の無二の親友であり、若き瀧善三郎に国学や和歌を指南し 、影響を与えています。
玉松城命名五百年記念碑
西備前一の堅城と謳われた戦国武将松田氏の「玉松城」の命名における由来と経緯を、命名五百年を記念し建立された石碑。
松田氏の子孫からなる「玉松会」により寄贈されました。
黒田寿男像
黒田寿男(くろだひさお)は日本の農民運動家、政治家、弁護士です。
一九四八年結成の労働者農民党の初代主席となりました。
日朝友好運動や日中友好運動に取り組み、日中友好協会正統本部会長を務めました。